士業事務所の生成AI活用|守秘義務を理由に止めない、線の引き方
税理士事務所や社労士事務所の先生方とお話ししていると、生成AIの話はだいたい同じところで止まります。「顧客情報を入れるわけにはいかないので」。まったくそのとおりで、この慎重さは正しいと思っています。
ただ、そこで全部止めてしまうと、実は一番もったいない使い方を逃します。士業事務所で最初に効くのは、顧客情報を一切入れなくてよい仕事だからです。改正内容の要約、顧問先向けの説明文の下書き、所内の教育資料、職員から来る質問への回答のたたき。この領域だけで、事務所の書く仕事はかなりの割合を占めています。
私自身、経理代行の事業を持っている関係で顧問税理士や社労士の先生と日常的にやり取りしますし、自社では就業規則や規程類の下書きを生成AIに作らせて、そのあと専門家に直していただく、という進め方をしています。この記事は、その経験も踏まえてどこに線を引くと安全に使えるかを整理したものです。
この記事は税理士・社労士・行政書士・司法書士などの事務所を想定しています。業種別の考え方は経理部門の生成AI活用、導入の全体手順は中小企業のAI導入ステップにも整理しています。
効く仕事と、効かない仕事を分ける
士業事務所の業務を、生成AIの効き方で3層に分けます。ここを混ぜたまま議論すると、「使える/使えない」の水掛け論になります。
| 層 | 中身 | 生成AIの効き方 |
|---|---|---|
| 第1層:顧客情報を使わない文章仕事 | 制度改正の要約、顧問先向けお知らせ文の型、セミナー資料、事務所HPの記事、求人票、所内マニュアル | ここが最も効きます。情報漏えいの論点が発生しないので、明日から始められます |
| 第2層:顧客情報を含むが、判断を伴わない作業 | 面談メモの整理、資料の要約、顧問先へのメール文の推敲、記帳データの説明文 | 効きますが、入力してよい情報の範囲を決めてから。設定と社内ルールが前提です |
| 第3層:独占業務と、専門家としての判断 | 税務申告書の作成、税務相談への回答、労働社会保険諸法令に基づく手続書類の作成、登記申請書類の作成 | 代わりません。下書きの補助として使うことはあっても、最終的な判断と責任は有資格者のものです |
止まっている事務所のほとんどは、第3層のことを考えて「使えない」と結論を出しています。ですが実務で時間を食っているのは第1層です。顧問先150社に同じ改正の案内文を出す準備に、先生が土曜日を使っている。この構図を先に崩したほうが、効果は早く出ます。
第1層で、まず何をやるか
具体的に挙げます。どれも顧客の固有情報を入れずに済むものです。
1|改正・通達の「顧問先向けに言い換える」作業
先生方は一次情報を読み込んでいます。時間が掛かっているのは、読むことではなくそれを社長に分かる言葉に落とすところです。ここは生成AIが得意な作業に近い。
やり方としては、公表資料の該当箇所を自分で貼り付けたうえで、「中小企業の経営者に向けて、影響が出る会社の条件と、いつまでに何をするかを3点で」と条件を付けて書かせます。出てきた文章を先生が直すのが前提です。ここを逆にして、AIに調べさせて中身まで任せると事故ります。理由は次の章に書きます。
2|職員向けの説明資料・所内マニュアル
士業事務所は教える仕事が多いのに、教材を作る時間が取れません。「昨年の担当者が口頭で教えていた」まま人が入れ替わっている事務所を、私はいくつも見ています。手元にある実際の手順を箇条書きで渡して、説明の順番と例を足してもらう。この使い方はすぐ形になります。
3|事務所の情報発信
HPのコラム、セミナーの案内、顧問先へのニュースレター。継続できていない事務所が大半だと思います。ここはネタ出しと構成づくりに使い、中身の正確性は先生が担保するという分業にすると回ります。逆に全文を出力させてそのまま公開すると、事務所の信用そのものを損ないます。
4|採用と、面接前の準備
求人票の書き直し、応募者への返信文、面接で聞く質問の整理。人手不足はどの事務所でも共通の悩みなので、ここに時間が返ってくるのは効きます。
任せてはいけない3つ
ここは強めに書きます。事務所の看板に関わるからです。
- 法令・通達の内容そのものを、AIの回答で確定させないこと:生成AIは、条文や通達の番号・要件をもっともらしく間違えます。しかも自信のある文体で出てきます。必ず一次資料に当たって確認する。これは職員にも徹底が要ります
- 顧問先への回答を、確認なしで出さないこと:下書きに使うのは構いませんが、送信前に有資格者が読む。当たり前に見えて、忙しい月ほど飛ばされます。ルールとして書いておいてください
- 独占業務の判断を代替させないこと:税務相談への回答、手続書類の作成といった資格に紐づく業務は、資格者が判断します。AIの出力を根拠に処理して問題が起きたとき、責任はAIではなく事務所に来ます
1つめについては、職員研修で必ず「間違った出力の実物」を見せることをお勧めしています。正しく動く例だけ見せる研修は、危険な過信を生みます。詳しくは生成AIのセキュリティにも書きました。
顧客情報をどう扱うか:4つのルール
第2層に進む場合、事務所として決めておく最低限です。私が自社で運用しているものと、専門家の先生に確認しながら整えた考え方をもとにしています。
| 決めること | 実務での落とし方 |
|---|---|
| 使うサービスと契約形態を1つに絞る | 職員が各自の判断で無料版を使う状態を止めます。事業者向けのプランで、入力データが学習に使われない設定になっているかを契約条件と設定画面の両方で確認してください。ここは各サービスの規約が変わるため、導入時だけでなく定期的な確認が要ります |
| 入力してよい情報の線を引く | 「社名・個人名・マイナンバー・口座番号は入れない」を出発点にします。数字と構造だけなら入れてよい、という切り方が実務的です。金額の桁や科目名は入れても、どこの会社かが分からなければ実害はかなり下がります |
| 顧問先への説明の仕方を決める | 黙って使うのが一番まずい対応です。「業務効率化のためにAIを利用しており、お客様を特定できる情報は入力しない運用にしています」と説明できる状態にしておく。契約書や重要事項の説明に一文入れるかは、顧問弁護士等にご確認ください |
| 誰が最終確認するかを書く | 担当者が作り、資格者が確認して出す。この一行を業務手順書に入れるだけで、事故の大半は防げます |
ルールの文書化そのものはAI利用規程の作り方にひな型の考え方を整理しています。士業事務所の場合は、これに守秘義務と、所属する会の指針との整合を足す必要があります。各士業の団体から利用にあたっての考え方が示されている場合があるため、所属会の最新の案内をご確認ください。
研修の設計:有資格者と補助者を分ける
士業事務所の研修で、全員を同じ内容で集めるとうまくいきません。役割で求められるものが違うからです。
| 対象 | 研修で扱うこと | 到達点 |
|---|---|---|
| 所長・有資格者 | どこまで任せてよいかの線引き、事務所としてのルール設計、顧問先への説明の仕方 | 事務所の方針を自分の言葉で説明できる |
| 担当者(顧問先を持つ職員) | 顧問先向け文章の下書き、面談メモの整理、確認の手順。誤りの実例を必ず含める | 下書きを作り、確認を通して出せる |
| 補助者・入力担当 | 所内文書の整理、定型文の作成、検索と要約。入力してよい情報の線を体で覚える | ルールの外に出ない範囲で日常業務に使える |
もうひとつ、繁忙期を外してください。税理士事務所に2月から3月に研修を提案するのは、単純に無理があります。実際に定着するのは、直後にその作業が発生する時期に合わせて研修をやったときです。改正の案内文を作る時期の直前にその演習をやる、というつくりにすると残ります。定着のさせ方は社員へのChatGPT定着にまとめています。
費用面では、研修や人材育成に関する公的な支援制度が用意されている場合があります。リスキリングの助成金で制度の考え方を整理していますが、要件は年度で変わり、申請しても受給や採択が確約されるものではありません。労働局やハローワーク、各制度の窓口で最新の要件をご確認ください。
ノセカエの考え方:線を引いてから、使い倒す
私たちが士業事務所向けの研修でやっているのは、機能の紹介ではありません。先に「入れてよい情報/いけない情報」の線を、その事務所の実際の書類を見ながら引きます。ここが決まっていない状態で使い方だけ教えると、職員は怖くて使わないか、逆に何も考えずに貼り付けるかのどちらかになります。中間がありません。
線を引いたあとは、その事務所で実際に使っている文書を題材にします。汎用の例題では持ち帰れないからです。顧問先へのお知らせ文、所内の手順書、求人票。研修が終わった時点で、明日使える成果物が手元にある状態を目標にしています。
そのうえで正直に申し上げると、生成AIで士業の仕事が置き換わるとは私は考えていません。変わるのは、先生が判断以外に使っている時間の量です。そこが減れば、顧問先と話す時間が増える。事務所の価値はそちらにあると思っています。
まとめ
士業事務所で生成AIを止めている理由は、たいてい第3層(独占業務と専門家の判断)の心配です。ですが最初に効くのは第1層、顧客情報を一切使わない文章仕事です。ここは今日から始められます。
第2層に進むときは、使うサービスを1つに絞る、入力してよい情報の線を引く、顧問先への説明を決める、最終確認者を書く。この4つを先に決めてください。
そして研修は、所長・担当者・補助者で内容を分け、繁忙期を外して、実際の書類を題材に。誤った出力の実物を見せることを、必ず入れてください。
何から手をつけるか決めきれない、職員に何をどこまで許すか判断がつかない。その段階からで構いません。無料診断で事務所の業務と体制を伺い、第1層から着手できる作業と、線を引くべき箇所を分けた表をお作りします。
※本記事は一般的な整理であり、個別の事案における法令解釈や、特定の業務・体制が各士業法その他の法令および所属団体の指針に適合することを判断するものではありません。独占業務の範囲、守秘義務の取り扱い、顧問先への説明方法については所属会の最新の案内および顧問弁護士等の専門家にご確認ください。助成金・補助金は要件が年度により変わり、申請しても受給や採択が確約されるものではありません。制度の適用可否は労働局・ハローワーク等の所管窓口にご確認ください。